読書実況BROS.

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『アルタッドに捧ぐ』 part1 「第一章」

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内容(裏表紙より) 「本間は、作中で少年の死体が発見された今日この日まで、少年が死を選ぶなど、露ほども 考えてはいなかった。」 大学院を目指すという名目のもと、亡き祖父の家で一人暮らしをしながら小説を書いている 本間。ある日、その主人公であるモイパラシアが砂漠で死んだ――彼の意図しないところで。 原稿用紙の上に無造作に投げ出された少年の左腕。途方にくれながらも本間が、黒インクが 血のように滴る左腕を原稿用紙に包み庭に埋めようとした時、そこから現れたのは少年が飼 育していたトカゲの「アルタッド」だった……。

どうも、管理者のび作の実弟の味付け海苔と申します。のび作が最近ブログを始めて猫の手も借りたいとのことでしたので、僭越ながら記事を書かせていただく運びと相成りました。何卒、よろしくお願い申し上げます(ペコリ)。

のび作はミステリ小説や実用書の実況を書いていますが、ワタクシは主に純文学方面の実況を書かせていただこうと思っております。わたしが好きだから、というのが当然1番の理由なわけですが、純文学の作品のなかには予備知識がないと一見ワケが分からないものもあり、とりわけ「これ読んでるの、世界で私だけ?」となりやすいジャンルではないかと思うからです。

さて、今日から読み進めていく本は、第51回文藝賞受賞作、金子薫『アルタッドに捧ぐ』であります。金子薫さんといえば、以前、アメトーーク! の読書芸人で『鳥打ちも夜更けには』が紹介されておりましたので、ご存じの方もいらっしゃることでしょう。そんな若き俊英のデビュー作の実況にお付き合いいただければという所存でございます。

余談ですがこの単行本、2015年2月28日までは刊行記念特別定価で1000円(税別)で買えました。今は1300円(税別)で売られています。みなさん、1404円出して買いましょう。

まあ俺は1080円で買ったけどな!

原稿用紙の上には、列車によって切断されたと思われる少年の左腕が、無造作に投げ出されていた。切断面からは黒インクが血液の如く流れ続けており、もはや執筆など続けられる状態ではなかった。

いかに作り物のお話とはいえ、フィクションの中には、かならず幾ばくかの真実が含まれています。読者が小説を読んで感動するとき、その中に含まれる真実に心打たれるわけですね。

読者にとってそうなのですから、小説の作者にとってはなおさらでしょう。現実の領域を浸蝕してしまうほど、作者にとってはフィクションにおける真実の割合が大きいんだ、ということですね。

原稿用紙の上に投げ出された左腕が、それを物語っています。客観的に見れば奇異な場面でも、作者にとってはそうじゃないんですね。それにしてもすげえ冒頭だなあ。

昔、何かのインタビューで読んだ記憶があるのですが、ハリー・ポッターの作中でシリウス・ブラックが死んだとき、作者のJ・K・ローリングは悲しすぎて何日か寝込んじゃったそうです。以前のび作にこの話をしたら「アタマおかしい」って言ってました。これだから理系は。

アロポポルとはソナスィクセム砂漠原産のサボテンであり、「アロポポル」という名前はセツア語で「石柱」を意味する「アロフポフポル」という言葉を語源としていた。

あと特筆すべきは、固有名詞のネーミングセンスですよね。アロポポルといいモイパラシアといいロロクリットといい、この語感の心地よさよ。そして、文化人類学者の紀行文かのごとき描写。お前はレヴィ・ストロースか! この専門的(風)な描写によって世界観の説得力が支えられてますよね。

どうやら眠いようで、アルタッドは頻繁に瞼を閉じるのであるが、そのたびに何かを思い出したかのように目を見開き、あたりの様子をきょろきょろと窺うのであった。

そしてこの小説の最大の魅力は(まだ第一章しか読んでないけど)、おそらくこのアルタッドの可愛らしさなのではないでしょうか。これ読み終わった後、たぶんみんなトカゲが飼いたくなることでしょう。俺は飼わんけど。

本間は、モイパラシアの物語を書きながら聴いていた、ソニー・シャーロックと彼の妻、リンダ・シャーロックの演奏する『バイレロ』をかけた。

はい出ました、ソニー・シャーロック! 「ギター版アルバート・アイラ―」と呼ばれるフリー・ジャズのギタリストです。絶妙にマニアックですねえ。安易にビートルズとか出してくるような輩とは大違いです(べつに村上春樹や伊坂幸太郎をディスってるわけじゃないんだからね!)。

作中に出て来た『バイレロ』は彼の初リーダー作である『ブラック・ウーマン』というアルバムに収録されています。「歓喜」とか「恍惚」っていう感じの雰囲気にぴったりな曲です。静かなゴスペルのような。ぜひ実際に聴きながら読んでみてください。いや、どうしてもってわけじゃないけど。

そしてその晩、本間は夢を見るわけです。純文学ってなんかやたらと夢を持ち出しますよね。有名どころだと夏目漱石の『三四郎』がそうで、冒頭は三四郎が夢から覚めたところから始まります。「今から起こることは夢じゃなくて本当のことですよって言いたい」っていう意図があるとかないとか。本作の場合は夢の中である種本当のことが起こるわけですね。 夢だけど、夢じゃなかった!

本間はモイパラシアに「どうして死んだりしたの?」と問いかけます。考えてみれば、自殺した人に対しての「なぜ」って多分一番の愚問ですよね(ってデュルケームが言ってた)。  

そんなこんなで、本間はモイパラシアからアルタッドとアロポポルの世話を任せられたわけですが、それを当然のように引き受ける本間に痺れます。俺だったら引き受けるだろうかなあ・・・とか考えちゃいますね。書くの断念した小説の主人公の頼みなんて。その点、本間は偉いですね。ホンマに。

ちゃんと爬虫類ショップで餌やらケージやらその他こまごましたものを買いそろえて、いろいろ試行錯誤しながら健気にアルタッドの世話をする本間。偉いなあ、ホンマに。

眠りから目覚め、再び一つの人格として意識の表層へと浮かび上がっていくときに抱く、生誕をやり直しているかのような感覚――夜の領域で脱ぎ捨てた人格を再び拾い集め、習慣の衣服を着込むようにしながら上昇していく瞬間に抱く、あの再生の感覚を、アルタッドは知らなかった。

子供のころ、夜眠れなかったら死ぬものだとなぜか本気で信じてました。寝つきが悪かったので何度も死にかけましたが、今こうして生きています。フシギだなあ。

アルタッドに捧ぐ

アルタッドに捧ぐ

「第2章」まで読んだからこちら