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突発性小林秀雄地獄 - 『ジョン・レノン対火星人』 part 4 「2章 十九世紀市民小説」

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2章 十九世紀市民小説

こんばんは。

すっかりご無沙汰しておりました味付け海苔です。

さて、冒頭は例によってノートの断片ですが、なぜかポパイが登場します。

ポパイというと、ほうれん草を食べてスーパーパワーを発揮することでおなじみのセーラー服の小男ですが・・・。

一昨日までぼくは雑誌だったんです。正確に言いますと、ぼくはマガジンハウスで発行している『ポパイ』の通巻69号すなわち一九七九年十二月二十五日号だったんですが、どういうわけだか急に人間になっちゃったんです

ふむ、なんだかカフカの『変身』を彷彿とさせますね。

こっちは雑誌が人間になっちゃったわけだけど。

話から察するに、女の子がこれから同棲する男の子のことをアパートかなにかの管理人に紹介するところみたい。

「ねえ管理人さん、ポパイ、、、ったら可笑おかしいの。その雑誌に載っていることしか知らないのよ。GSグループサウンズのことは詳しいのに、おはし、、、のもち方も知らないんだから」

「本当に困っているんです。『ポパイ』じゃなくて『大百科事典』だったら、こんなに苦労しなかったと思うんです」

そんな「ポパイ」に、「管理人」はとってもあったかい言葉をかけてくれます。やあ、いい人だなあ。

『大百科事典』が人間になんかなりますか? あなたはその・・・・・・『ポパイ』とかいう雑誌だったから人間になったんですよ、きっと。

つづけて、こんなアドバイスまで。

わたしはあなたを気に入りそうだから、ひとつだけ助言してあげます。わたしはもう六十年間も瞑想メデイテートしつづけています。あなたもわたしのように、時々でよろしいから、瞑想メデイテートしてみることです。きっと楽しくなる筈です。

そう言えば、のび作も一時期瞑想にハマって、しきりに俺に勧めてきました。

なんでも、マインドフルネスがいいんだとか。

わたしはノートを広げたまま瞑想メデイテートしていた。わたしは目を閉じ、まっくらなわたしの内側をのぞいていた。わたしの創造した老管理人はどうやらただのうそつきかはったり屋だったらしい。わたしはちっとも楽しくなんかならなかった。

うん、まあ、楽しくはないわな。

まっくらな、まっくらな、まっくらな、わたしの内側で、だれかがわたしの肩をたたいた。

「よお、社長しやつちよういいいるよ」

わたしは瞑想のなかでぽんびき、、、、に話しかけ、いちゃもんをつけますが・・・

おい、なんだお前、めちゃくちゃ楽しそうじゃねえか。

わたしは悲しかった。瞑想メデイテーシヨンがわたしに与えてくれるのはいつも悲しみだった。

まっくらな、まっくらな、まっくらな、まっくらな、まっくらな、わたしの内側でサラミソーセージが発酵するげっぷ、、、の音を形象化することは十九世紀市民小説では不可能だとわたしは思った。

<まっくらな>言い過ぎじゃね? ってのはさておき、ここで唐突に標題である「十九世紀市民小説」が登場します。

シュムペーターは「景気循環の動態学ダイナミクス・オブ・ビジネス・サイクル」の中で「十九世紀市民社会は文躰の私有を神聖視する 」と言った。

十九世紀市民小説は文躰の私有を神聖視する

シュムペーターをググったところ、オーストリア・ハンガリー帝国の経済学者らしいです。

十九世紀市民小説・・・なんだそれは?

わたしは二十世紀の現在いまも繁栄し、おそらく二十一世紀にも細々とではあれ延命するだろう十九世紀市民小説の特徴を瞑想空間メデイテーシヨナル・スペースに箇条書きにしてみた。

(1) 十九世紀市民小説はその文躰・主題・方法・コンセプトによって分類することが可能である

(2)十九世紀市民小説には作者が必要である

(3)十九世紀市民小説の言語機能は不充分であり、そのために実在しないものと実在するものの混淆こんこう がしょっちゅう起こる

なるほど、つまり・・・小説のことね。

<わたし>はその後もしばらく瞑想をつづけていましたが、そこへ「片方の足の機能が損なわれている人、、、、、、、、、、、、、、、、、」もとい「ヘーゲルの大論理学」が到着したことで、瞑想を中断します。

「遅いぞ! 四十七分の遅刻だよ」

「ヘーゲルの大論理学」はにっこり笑うと、破壊された右膝みぎひざ関節を軸とし、かれの上半身を y=sinx のグラフのように振動させながらわたしに近づいて来た。

う~ん、さすが「ヘーゲルの大論理学」!

「ヘーゲルの大論理学」はヘーゲルの『大論理学』を読んだことは一度もない。

どないやねん。

さて、それから「ヘーゲルの大論理学」の人となりの説明が一通りなされた後、三杯目のココアをかき混ぜながら「ヘーゲルの大論理学」はやっとこさ本題に入ります。

「ヘーゲルの大論理学」によると、「すばらしい日本の戦争」は殺人犯だということです。

でも、その殺人犯がなぜ<わたし>に手紙を送ってよこすのかや、いったい誰を殺したのかなどについては「さあね」とにべもありません。

「おどろくじゃないか、君にハガキでメッセージを送って来た『すばらしい日本の戦争』はあの『花キャベツカントリイ殺人事件、、、、、、、、、、、、、、をおこした、、、、、花キャベツカントリイ党、、、、、、、、、、、のリーダー、、、、、なんだ」

衝撃の新事実! と思いきや・・・『すばらしい日本の戦争』についての話はそれで終わり、「偉大なポルノグラフィー」の話題へと移ります。

「君の『偉大なポルノグラフィー』はどうなってんだい」

まあまあ、、、、だよ」

わたしは、本当は次のように言いたかった。

わたしの「偉大なポルノグラフィー」は最初の二十世紀小説になるだろう。そして「偉大なポルノグラフィー」の出現によって十九世紀市民小説は消滅の運命を余儀なくされるだろう。

ああ、いるいる、こういう人。こんな啖呵なかなか切れるもんじゃないもんね。

そんな話をしていると、「ヘーゲルの大論理学」は突然顔を歪めて<「もう秋かロトン・デジヤ・・・」>と呟きます。

どうやら突発性小林秀雄地獄の症状が再発したようです。

「ヘーゲルの大論理学」は小林秀雄の文躰でひとしきりブツブツ言った後、発作はすぐにおさまったものの、すっかりセンチメンタルジャーニー、泣き出してしまいました。

それから唐突に断片が挿入されます。

「ねえ」とわたしは言った。

「あなたのみわざ、、、は割といいかげんに思えるんだけど」

ジーザス・クライストはパンを増やすのに気をとられていて、わたしの訴えをよく聞いていなかった。

「何? もう一回言ってみて」とジーザス。

「だから、あなたのみわざ、、、には不公平が・・・・・・」

「そんなこと言ったってねえ、大雑把おおざつぱにしかできないものなんだよ、またあとで話を聞いてあげるから、そこで待っててよ」

う~ん、「神の沈黙」ですね。

遠藤周作の『沈黙』でも同じテーマが扱われていました。

最近(つっても2年前)マーティン・スコセッシ監督によって映画化もされて話題の作品です。

「ヘーゲルの大論理学」の小林秀雄地獄も、ジーザスのみわざ、、、だと、そういうことでしょうか。

はいはい、大丈夫ですよ。俺はこういうノンクリスチャンの率直なキリスト教批判にも真摯に耳を傾ける系クリスチャンですから。

さて、そして「ヘーゲルの大論理学」は帰っていきました、と。

少し飛んで、帰り道。

「花キャベツカントリイ党」のリーダーである「すばらしい日本の戦争」からの死躰の詰まったメッセージは何を意味するのか?

それはわたしが東京拘置所で暮らした三年間に関係があるのだろうか?

それはわたしや「ヘーゲルの大論理学」にくさいめしを食わせた「マザー・グース大戦争」と「花キャベツカントリイ殺人事件」の秘められた関係を暗示しているのだろうか?

どうなっているんだい?

わたしには見当のつかないことだった。

それは・・・・・・

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不意に挿入されるポップなイラスト

そんなことを考えながら帰宅すると、パパゲーノのブーツのとなりに見知らぬ運動靴が。

<わたし>はパパゲーノに訊ねます。

「君の友だちかい?」とわたしは言った。

「ええ⁉ ちがうよ! だって、・・・・・・ぼくは、てっきり・・・・・・」

「名前を聞いたのかい?」

「胸に名札をくっつけてたよ」

わたしは目を閉じ、大急ぎで「マントラー、マントラーマントラー」と呟いたのだった。

「『すばらしい日本の戦争』だってさ」

ええ⁉ ど、どうなっちゃうの??

文躰が気になるなら「美少年倶楽部」など読まずに「文學界」でも読むことだ。

とか書いときながら、これを群像新人賞に応募するあたり、高橋さんやっぱりさすがっすね。

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)