噛み合わない会話 - アルタッドに捧ぐ part2「第二章」
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むしろ彼は、アルタッドから目が離せないため、自分は忙しくて仕方がないのだ、と言い張りたいくらいであっただろう。
あーわかるわかる。超忙しいもんね俺ら。定職に就いてないからってイコール暇人かっていったら全然そうじゃないよね。やることなんか無限に出てくるもんね。そういうのってほら、さみだれ式に発生してくるもんね。さみだれ式に。ほんとキリがないっていうか。もう暇とか言ってるヤツとか意味わかんないよね。むしろ「暇」っていう概念が意味わかんないよね。俺べつにアルタッドの世話してるわけじゃないけど、わかるわあ。いや、わかるわあ・・・。
暇人のみなさんこんばんは。のび作の実弟、味付け海苔でございます。小寒の候、いかがお過ごしでしょうか。
作中では季節が夏になりました。第一章は春だったんですね。モイパラシアの死から、はや二三か月。アルタッドとアロポポルの両名は、目を見張るスピードでぐんぐん成長していきます。
今やアルタッドの体長は拾った時のおよそ倍(40センチ弱)になり、アロポポルは本間の膝下に達するほどに伸びた。週に三日は化粧品会社のアルバイトにも通っている。
同世代の友人がみんな定職に就いているからって、なにを気兼ねすることがあるでしょう。
言うなればサタデーナイトフィーバー的なヤツですね。
ただ同世代の勤め人よりもサタデーナイトがほんのちょっぴり多いだけっていうか。月月火水木金金のだいぶラフなヤツっていうかなんていうか。単調だけど充実した日々。
結構なことですね。
ある日の夕方、本間は卯田駅で亜希と待ち合わせをしていた。(中略)学生時代の恋人である亜希と一緒に酒を飲むのも、随分と久しぶりのことであった。
え、ちょっと待って。
なんかマジでフィーバーしてるヤツいるんだけど。
あれ? フィーバーっていってもなんていうかこう、もっと内向的なフィーバーだと思ってたんだけど。
ガチのフィーバーだったの? 随分と久しぶりって具体的にどれくらい久しぶりなの? そもそもこれどっちから誘ったの?
「体験を再現するために書いてるんじゃない」
亜希は首を傾げ、目を見開いた。
「えっ、なに? どういうこと?」
本間は赤ワインを二つのグラスに注ぎ、片方を亜希に手渡してから言った。
「いや、ごめん、間違えただけ。つまり、俺が言おうとしたのは、働いてみて初めてわかることがある、という考えには反対だってことなんだ」
「はいはい、わかったわ。もう一回乾杯しよう」
詩人の立原道造は、当時付き合っていた恋人にこう言ったそうです。
「君が働け。僕は詩を書く」
ああ、言ってみたいなあ。
生きていくにはお金がいる。芸術はなかなかお金にはならない。でも、芸術に生きない人生には意味が見い出せない。芸術家の永遠の課題ですね。
それにしても、亜季ちゃんめっちゃいい子やん。
本間は亜季ちゃんのことを「無償で小説を書くことを仕事だとは思っていない」とか言ってるけど、亜季ちゃん多分、実はめっちゃ本間に対して理解ありますよね。そうじゃなきゃ「はいはい、わかったわ」のあとに「もう一回乾杯しよう」なんて言えないと思うんです。
というかそもそも一緒にワイン飲もうなんてならないと思うんです。みなさん、どう思います?
理解があるからこそ、「現状認識が甘いのね」みたいにちょっと厳しいことも言ってくれるんだと思うんです。
亜季ちゃんめっちゃいい子やん。なんで別れたん? 就活で忙しくなるからとかそんな感じ? ちょっと俺にはわかんねえなあ。
男女の機微がわかる方がいたら教えてくほしいんですけど。お客様の中に恋愛マスターはいらっしゃいませんか!?
彼は、亜希が休みなく働いていることを知り――もとより知ってはいたが、仕事帰りの亜季と食事をすることで、同世代の働きぶりをまざまざと直視することになったのである――、祖父の家でごろごろしていることがなんとなく後ろめたくなり、申し訳程度にアルバイトの日数を増やしていたのである。
おい! ちょっと気にしてるんじゃねえよ!!
こないだあんなにダダこねるみたいにブーブー言ってたのに、あれはなんだったの!?
だいたいそれなら大学院試験の勉強するなり小説書くなりすりゃあいいじゃねえか!
バイトの日数ちょっと増やしたってしょうがないでしょうが!!
机の上に散らばった下品極まりないゴシップ記事の数々を見ているうちに、彼は無性に腹が立ってきた。「恍惚の感覚に身を委ねずに書かれた文章など視界に入れたくもない。こんな文章を書くような奴らはみんな豚なんだ。俺は、自分もまた一匹の豚でしかないということを受け入れた、諦念と倦怠の只中で文章を紡ぎたいとは思わない」そう考えながら、彼は庭に生えているアロポポルのことを思い浮かべていた。
そんでバイトに来たら来たで、仕事放り出してずっとこんなこと考えてるし。思春期か!
まあそれはそれとして、こういう青臭い思想が小説の醍醐味のひとつなのではないかと、俺は思っています。
世の中にはたくさんの偉大な哲学者や思想家がいて、一応学問として体系的に整えられた思想が展開されていますよね。
わたしたちは多かれ少なかれそういった思想に影響を受けながら生きているわけですが、それを専門的にきちんと勉強しているわけではない一般市民は、その表層に触れることができるにすぎません。
「世の中にはなんとなくこういう考えがあるんだ」という、相対的にみて浅い次元にとどまっているというか。
小説家も、もちろん哲学者や思想家ではないので(なかには専門家の作家もいるけど)、あくまで一般市民の代表として、浅くツッコミどころのある思想で小説を書いているわけですね。
でもだからこそ、同じ一般市民であるわたしたちは、それをダイレクトに受け止めることができて、そのうえで共感したり、あるいは反発したりできるんじゃないでしょうか。
ところでみなさんは、こんな本間の考えに共感と反発のどっちを覚えるでしょうか。
ここまで読んでくれた人は薄々わかるかと思いますが、俺は目下のところ反発を覚えております。
アロポポルの誘惑と闘いながら、本間は熱帯夜を幾夜もくぐり抜けた。
それから本間は、アロポポル(エニマリィ)のドラッグ体験の只中で文章を書いてみたいという欲求に取りつかれていきます。
うん、まあ気持ちはわかるよ。俺も学生時代サイケデリック聞きまくってたし。なんかそういう境地って憧れちゃうよね。マジモンの芸術って感じするもんね。
それにしても、自給自足というか、自作自演というか。これ読んでると、小説家って地上最強の職業なんじゃないかって気がしてきます。
根を残しておけばアロポポルは何度でも再生するため、彼はアロポポルの頂部だけを切り取るつもりであった。
とうとう誘惑に負けてしまった本間は、おじいさんの形見のナイフを手に、夜な夜なアロポポルのもとへやってきます。
先っちょだけだからとばかりにナイフをあてがう本間。
アロポポルにほんの小さな傷がついた途端、我に返った本間は、後悔と自己嫌悪に襲われます。
アロポポルは再生しても、再生しないものがあるんだということですね。
観念的な、つまりは文学的な上司としての、過去の大作家たち。彼らは書店や図書館など、あらゆるところに存在していて、時には有り難い小言すらぼやく。その試みなら、私が遥か昔にやっているよ、等々。
文学的な上司なら、俺にもいっぱいいます。その中でいちばん小言をぼやくのは高橋源一郎さんです。
高橋さんの小言はまともに聞いていたらアタマがおかしくなるおそれがあるので、いつもは聞き流しています。
このあいだ、高橋さんは三塁コーチャーの格好をして「左の睾丸を二度、右の睾丸を一度」握りしめるというサインを送ってきました。「ジョン・レノン対火星人」のサインなのでした。
俺はバッターとして、いったいどうすればいいのでしょうか? 打つ? 一球待つ?
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