流行の顛末 - 『ジョン・レノン対火星人』 part 1 「東京留置所における流行について話そう」
こんばんは。味付け海苔です。
大寒の候、いかがお過ごしでしょうか。
今日からまた、新しい本の実況を始めさせていただきたいと思います。
みなさん、俺にはわかっていますよ。
『アルタッドに捧ぐ』 part 2 の「本日の名言」に潜ませておいた極めて巧妙なステマが功を奏し、今みなさんの手元に、一冊の本があるということが!
というわけで、今日から高橋源一郎著『ジョン・レノン対火星人』の実況を始めたいと思います! パチパチ!
「アルタッドに捧ぐ」は誰でも読んでスッとわかる小説でしたよね。
でも俺はこういう小説をこそ実況してみたいと思っていたのですよ、みなさん。
高橋さんは広島県出身で、実は俺の小学校の先輩にあたる人でもあります。
広島県尾道市立土堂小学校です。
俺の在校時には、同校出身の作家として林芙美子が猛プッシュされていました。
それで、とある教室の一画には、林芙美子の白黒写真の等身大パネルが設置されていました。
夕暮れ時にちらっと見かけようものなら、そこはもうリアル学校の怪談です。
「林芙美子もいいけど、もっと高橋源一郎もプッシュすればいいのに。生きてるんだし」子ども心に何度そう思ったかわかりません。
まあ、ご健在だからこそいろいろあるんだろうな、と今なら思いますけど。そりゃそうっすよね。
ちなみに、NHK教育テレビの「ようこそ先輩課外授業」では、東京都世田谷区船橋小学校を訪れてらっしゃいました。
ああ、そっか。転校してっちゃいましたものね。卒業したのは船橋小学校ですものね。
いや、ぜんぜんいいんですけどね。
俺べつに小学校になんの思い入れもないし。
その後に「一億三千万人のための小説教室」っていう、授業の内容をまとめた本も書いてくれたし。
ぜんぜん寂しくないし。
・・・と、そういうこともあり、高橋源一郎とは俺のなかで親近感が特別強い作家さんなのです。
感覚的に身近すぎて、俺としてはもはや近所に住む競馬評論家のおじさんくらいの感覚でおります。
しかし、それは世を忍ぶ仮の姿。
その正体は、現代文学を牽引する、ものすんごい作家さんだったりするのです。
ちなみに、俺が初めて読んだ高橋源一郎作品はデビュー作『さようなら、ギャングたち』です。
「デビュー作には作家のすべてが詰まっている。」
書評や小説論を読んでいると、作家や評論家や、その他文学者と呼ばれる先生方が口をそろえてそう言うので、そうか、と素直に読んだ遠い日の思い出。
ところがどっこい、なんと実質的なデビュー作はこっちの方だというではありませんか。
これはもう、読むしかありませんね。
それでは満を持して、ジョン・レノン対火星人 part1 「東京留置所における流行について話そう」。
これはもう隠喩の海のような小説なので、思いっきり自由に、大胆に、読んでいこうと思います! パチパチ。
・・・ん? ちょっと待って。東京留置所における流行について話そう?
目次にはそんなの載ってないんだけど。
いやはや、一筋縄ではいきませんね。まさかしょっぱなから、何の断りもなくこんな謎の断片をぶっこんでくるとは。
まあ謎と言えば多分本編も全部謎なんだろうけど。 さて、気を取り直しまして・・・。
冒頭で、一九七〇年、七一年、七二年と、一年ごとに留置所内で流行っていたものが列挙されていますね。
マス●ーベーション、小説を書くこと、そしてベースボール。
留置所って、やっぱりというかなんというか、シャバと比べてなかなかやることがないのかもしれませんね。わかんないですけど。
まず、マ●ターベーション。まあ、女の子がいないんだから、一人でやるしかないですよね。
しかしそれにしても「流行った」という表現が引っかかります。
マスターベーションって流行とかそういうんじゃなく、生理的に、もっと常態としてみんなやってるもんだと思うんだけど・・・・・・。
次に、小説を書くこと。これはなんだか異様ですね。
識字に問題さえなければ、上手下手はともかく誰にでもできることではありますが。
誰もが小説を書くことに熱中していた。
とダメ押しされているのも印象的です。
小説を書きたい! っていう衝動って、そんな局所的に自然発生するものでしょうかね。
もしかすると、留置所内に特定のインフルエンサーでもいたのかもしれません。
そして最後に、ベースボール。これについての記述がいちばん詳細ですね。じっくり読んでいきましょう。
わたしは運動檻の中の幻のマウンドの上に立ち、いつかやってくる救援(リリーフ)にそなえ肩ならしのピッチングをつづけていた。
そんな「わたし」の左隣で頑張っている「左ピッチャーの肩口から入ってくるカーブ」を打てない左バッター。
「左ピッチャーの肩口から入ってくるカーブ」を打つことがおれの生涯の主題(テーマ)なのだ。
そして右隣には、奇妙なサードコーチャー。
奇妙なサードコーチャーはにやりと笑うと、右の鼻の穴に左手の親指をつっこみ、間髪を入れずに左の鼻の穴に右手の親指をつっこんだ。
「これが、ヒット・エンド・ランのサイン」
わざわざ「奇妙な」と言い添えるだけあって、ヒット・エンド・ランのサインも超絶奇妙ですね。
ここまでがわたしの知っている「東京留置所ジャイアンツ」の姿である。
わたしたちは保釈され、たった一人だけ残されたその奇妙な三塁(サード)コーチャーは、あいかわらず幻のコーチャーズ・ボックスからかれだけに理解できるサインを送りつづけていたのだ。
幻のマウンド、幻のバット、そして幻のコーチャーズ・ボックス。
全部幻だと。虚しさが偲ばれますね。
みんな一生懸命にやっているだけに、いっそうせつない情景です。
そして一九七三年。
独房から精神科の病棟へうつされたその奇妙なサード・コーチャーは奇妙なサインを作り出した。(中略)
左の睾●を二度。
右の●丸を一度。
それが、その奇妙な三塁(サード)コーチャーに使づこうとする全ての人間に出された「ジョン・レノン対火星人」のサインなのだった。
その後、「わたし」と「左ピッチャーの肩口から入ってくるカーブ」を打てない左バッターは保釈になり、奇妙な三塁(サード)コーチャーが一人残されたと。
それから奇妙なサードコーチャーは、独房で自殺してしまうんですね。
その時に奇妙なサードコーチャーが身につけていたものが、これでもかというほど詳細に記述されています。
その姿、まさにフル装備。
もし仮に素っ裸で死んでたとすれば、どっちの方が救いがあるのかな。
はたして奇妙なサードコーチャーは、幻から覚めて死んだのか、それとも幻を見ながら死んでいったのか。
「左ピッチャーの肩口から入ってくるカーブ」をついに打てなかった左バッターがつぶやいた一言が印象的ですね。
「だから、どうだっていうんだ?」
諦念。それも『アルタッドに捧ぐ』のような積極的諦念ではなく、見るからに消極的諦念です。
こうして読んでみると、最初に列挙されていたマス●ーベーションと小説を書くことと野球って、なにかひとつのことの違う側面を表してるんじゃないかと思えてくるんですけど、どうでしょうか。
わたしはそれ以来、自分で「左の睾●を二度、右の●丸を一度」握りしめては、「ジョン・レノン対火星人」のサインを送るようになったのである。
えっと、誰に?
・・・・・・あ、俺すか。
「ジョン・レノン対火星人」のサインを出されたバッターはいったいどうすればいいのだろうか? 打つ? 一球待つ?
打つか、一球待つかの二者択一になっているのが目につきます。
望むと望まざるにかかわらず、もう(幻の)バッターボックスに立ってしまっているからには、打つか一球待つか、どちらかしかないんだ!
それ以外の選択肢は与えられていないんだ!
いくら「ジョン・レノン対火星人」のサインを送られたって、もうどうしようもないんだ!
そんなスクリームが聞こえてくるようです。
※ちなみに、ちょっと気になって調べたんですが、高橋さんがこの小説を群像新人文学賞に応募したのは一九八〇年でした。
ジョン・レノンがなくなったのは同じ年の一二月なので、この小説が書かれた時点では、まだジョン・レノンは存命だったんですね。
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